パリオリンピックで金メダルを獲得した加納虹輝さん。
エペ個人種目で金メダルを獲得するのは日本人初ということもあり話題になっています。
この記事では、そんな加納虹輝さんの経歴についてまとめました。
ぜひ最後までご覧ください。
加納虹輝のプロフィール
名 前 : 加納 虹輝(かのう こうき)
生年月日: 1997年12月19日
年 齢 : 26歳 ※2024年7月時点
出身地 : 愛知県あま市
身 長 : 173cm
趣 味 : YouTube鑑賞、Netflix鑑賞
学 歴 : 早稲田大学卒業
種 目 : エペ
加納虹輝さんは、1997年生まれの26歳です。
フルーレから始めたフェンシングですが、途中で種目をエペに変更し、様々な大会で優勝する実力者です。
趣味は特にないようで、休日などは自宅でYouTubeやNetflixを観るのがお好きなようです。
加納虹輝の経歴
加納さんがフェンシングを始めたきっかけ~現在(2024年7月時点)に至るまでの経歴を紹介します。
フェンシングを始めたきっかけ
当時小学6年だった加納虹輝さんは、北京オリンピックで太田雄貴さんがフルーレ個人で銀メダルを獲得したのを見て、面白そうだなと思ったことがきっかけでフェンシングを始めました。
車で約1時間かけてフェンシングクラブに通い始めたそうです。
中学生時代
フェンシングを本格的にやっていこうとするも、通っていたフェンシングクラブが週1回のため、練習量はあまり多くなかったとのこと。
全国大会へ出場する1回戦敗退だったそうです。
高校生時代
高校は、山口県にある山口県立岩国工業高等学校に進学されています。
加納選手はたしか愛知県出身でしたよね?
通っていたクラブに早稲田大学フェンシング部出身の先生がいて、その先生の勧めで山口県の高校に進学されたそうです。
なんでも、早稲田大学フェンシング部出身の方ですごく良いコーチがいらっしゃったみたいです。
進学する学校を紹介してくれるとなると中学時代からフェンシングの才能があるように思われがちですが、本人いわく、
僕はあんまりフェンシングの才能があるというふうに言われたこともなくて、僕自身もそう思ってなかったです。
ただ、頑張っているというのをすごく買ってくれて、これだけ頑張れるなら伸びる可能性はあると言ってもらいました。
また、高校時代には同級生から「練習の虫」と呼ばれるほど練習に打ち込んでいました。
「練習の虫」。
高校の同級生に呼ばれた異名だ。
筋トレ、階段ダッシュ、縄跳び-。同校では週に数回、基礎トレーニングを徹底的に行う。
他の選手が音を上げるのを尻目に、加納だけは笑顔でこなしていた。
若い頃から、しっかりと努力されていたんですね!
また、加納虹輝さんは小6~高1まではフルーレの選手でしたが、
フェンシング種目をフルーレからエペに変えたのは高1の秋頃からだそうです。
大学時代
大学は早稲田大学スポーツ科学部に入学し、フェンシング部に所属されていました。
徐々に頭角を現していき、
大学1年生の時には、年齢無制限のワールドカップで銅メダル、ジュニアワールドカップでは優勝。
大学3年生の時には、ワールドカップで個人・団体両方で優勝。
さらには、2018年のアジア大会では個人で3位、団体で優勝を果たしています。
また、フェンシングの国内大会は少ないようで、年の3分の1は海外で合宿や大会を行っていたそうです。
大学卒業後は、JAL(日本航空)に入社
大学卒業後は、以前から興味をもっていたJALにアスリート社員として入社しました。
入社2年目の2021年7月、東京オリンピックへ出場し、団体で金メダルを獲得しています。
その後も活躍は続き、2023年に杭州で開催されたアジア競技大会でもエペ個人・エペ団体ともに金メダルを獲得。
2024年開催のパリオリンピックでは、エペ個人種目で日本人史上初となる金メダルを獲得しています。
まとめ
この記事では、加納虹輝さんの経歴を紹介しました。
- 北京オリンピックで太田雄貴さんを見たことがきっかけでフェンシングをはじめる。
- 中学時代、全国大会に出場するも1回戦敗退。
- フェンシングクラブの先生の勧めで、高校は山口県の山口県立岩国工業高等学校に進学。
- 努力家で、高校時代には「練習の虫」と異名をつけられる。
- 大学は早稲田大学スポーツ科学部に入学し、フェンシング部に所属。
- JALにアスリート社員として入社。
- 東京オリンピックでは団体で金メダルを獲得。
- 杭州アジア競技大会では団体、個人両方で金メダルを獲得。
- パリオリンピックでは、エペ個人で日本人初の金メダルを獲得。
最後までお読みいただきありがとうございました。